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【こきりこを心から愛した男】高桑 敬親

2025.11.01

富山県三大民謡のひとつである『こきりこ』。大化の改新の頃から、五箇山地方で唄い継がれたこの歌は、昭和初期には「幻」の唄とされ、その存在すら危うくなりました。地元の小学校教諭・郷土史研究者として活躍した高桑敬親は、この唄を後世まで伝えようと、地道に史実調査を続けました。そして世の中にこきりこを広く伝えようと奔走し、日本を代表する民謡へ押し上げました。さらに五箇山の名を世界に広めることに尽力し、世界遺産の指定を受ける礎を築きました。

 

「栗が弾けた!」

高桑敬親は明治33年(1900)11月、東礪波郡平村上梨(現在の南砺市上梨)で生まれました。大正15年に富山県師範学校(現在の富山大学教育学部)を卒業した彼は、東中江尋常小学校(現在は南砺市立平小学校に統合)の訓導(教諭)となり、教員生活の第一歩を踏み出します。当時の高桑はその風貌から、「栗頭」と呼ばれ、怒ると顔が真っ赤になる様を「栗が弾けた!」と、生徒たちにとても怖がられていました。

さて、昭和5年の夏、高桑にこきりこ調査をするきっかけが訪れます。それは詩人の西条八十が、「民俗学者の柳田國男が話す、こきりこについて教えてほしい」と平村を訪問したと聞いたことでした。西条が下梨を訪ね歩き、唄をよく知る最後の証人が前年他界したことを聞き、伝承する人がいないことを知らされたこと、また西条が柳田から聞いた『奇談北國巡杖記』に紹介されている一節、「♪むかひの山に啼くひよどりの、啼いてはさがり啼いてはあがり・・・」を愛唱していることなどを知り、そのこだわりぶりに疑問を抱きます。これが、こきりこがありふれた平凡な唄でないことを知る契機となり、高桑は調査を始めます。
 

唯一の伝承者・山崎しいとの出会い

早速彼は、村の古老たちに、こきりこについて訪ね回ります。そのうちに、この唄について知るという、上梨に住む山崎しいという女性にたどり着きます。子どもの頃に中屋の太助という老人から「コッケラコ」という唄を教えられたと話す彼女に、高桑の興味は高まります。そして昭和9年8月、高桑は山崎から歌詞を採集することになりました。

昭和14年、高桑は雑誌『高志人』に、五箇山研究にあたっていた高岡高等商業学校(現在の富山大学経済学部)の教授・小寺廉吉と共に、「越中五箇山の民謡」という論文を発表します。そして戦時中にこの唄を録音しようと試みますが、結局実現しませんでした。

こうして高桑は、「こきりこを通じて自分の地域、そして自身のルーツを探りたい」と考えるようになり、教壇に立つ傍らで、史料の発掘や古文書の解読などを行いました。そして五箇山地方の民謡や方言の研究をはじめ、歴史・伝統芸能・民俗・伝説などの調査を手掛けました。こうした努力が高く評価された高桑は、昭和39年11月に県政功労者として表彰されました。
 

五箇山の素晴らしさを世界に発信!

こきりこを後世に長く伝えたいという思いが募った高桑は、昭和26年8月に越中五箇山筑子唄保存会を設立し、会長に就任します。

この当時は歌のみで、踊りがなかったことから、彼は古文書調査を行い、踊りと服装の再現を急ぎます。そして翌年7月、文部省無形文化財審議委員会に招かれた保存会の面々は、NHKスタジオでこきりこの収録に臨みました。これを機に、民謡研究の第一人者・町田嘉章ら文化財審議委員が五箇山を訪れ、こきりこの保存を熱く訴えます。こうした声に推された高桑をはじめ保存会の面々は、村外ではじめて披露する機会を持とうと、この年の9月に行われた「城端むぎや祭り」に出演し、以来毎年出演を続けています。また全国各地のイベントに出演して、こきりこのピーアールにつとめました。

また高桑は、子どもたちにもこきりこを歌い続けてもらいたいと考え、教材として採用してもらうよう働き掛けます。こうした彼の努力が実り、昭和44年からこきりこは中学校の共通歌唱教材に採用されることになりました。

昭和48年10月、こきりこなどの五箇山民謡は無形文化財に指定され、これを契機にテレビでも広く紹介されるようになります。
 

最後の著書『平村史』

昭和52年5月、当時の平村長・図書恒遠が村の歴史を後世に残すべく、『平村史』の刊行を決断し、村史編纂委員会を組織します。この編纂委員に指名された高桑は、これまでに手掛けた史料の論考に取り組み、村史発刊に向けて精力的に活動します。そうした彼に対し、すでに高桑の五箇山史の調査を知る編集委員の一人が、「自身の著書をまとめたらどうか?」と持ち掛けますが、資料が膨大すぎて実現しませんでした。高桑の性格からか、調査ノートを節約するために、極細字でぎっしりと書き詰めていたり、和紙にガリ版印刷をしていたためにインクが滲み、字が識別できなくなり、高桑本人も分からない箇所があったことも、その理由の一つでした。

そうして昭和56年1月、高桑は80年の生涯を閉じます。昭和58年4月には、高桑が全精力を注いだ『平村史』が完成しましたが、その完成に立ち会うことはできませんでした。

毎年9月、上梨地区で行われる「こきりこ祭り」には、たおやかな舞いを観ようと、全国から観光客が訪れ、村のあちこちで手踊りを伝授・披露する姿が見られます。最近では、南砺総合高校平高校の郷土芸能部が目覚しい活躍をみせ、全国を舞台にこきりこの魅力を伝え続けています。
 




この記事は、「TSTチャンネルガイド」(現 おとなり)に2001年から2007年の間に70回にわたり連載された『となみ野ストーリー』の内容を掲載しています。なお、『となみ野ストーリー』は2007年8月に書籍としても発刊されています。

この記事を書いた人

おとなり編集部