2025.11.01
【世界の空を見つめ続けた男】若狭 得治
by おとなり編集部
タワーとメルヘンの街・小矢部市。36を数える「メルヘン建築」は、古今東西の名建築の構造的長所を取り入れたもので、「地域のシンボル(誇り)となるように」との思いを込めて建てられてきました。その結果、「メルヘンの街」として、小矢部の名を全国に発信したのが、松本正雄です。故郷・小矢部をこよなく愛した松本は、市民文化の意識高揚のために尽くしました。
松本正雄は大正6年(1917)6月1日、西礪波郡東蟹谷村平桜(現在の小矢部市平桜)で、父・茂治郎と母・すいの長男として生まれました。小さい時から本が好きだった松本少年は、「本ばかり読んでいてはいけない」と叱られても、本を布団の中に持ち込んで読むほどでした。
そんな彼が小学6年生の時、初めて漢詩を作り、先生に見せにいきました。すると、「詩の内容はどうか分からんが、熱意がある」という言葉が返ってきます。その言葉が嬉しかった松本は、終生漢詩を趣味としました。一方この頃から、政治家に憧れていた彼は、「大人になったら、東蟹谷の村長になるんだ!」と周囲に話していました。
昭和5年4月に県立礪波中学校(現在の県立砺波高校)に入学した松本は、柔道に明け暮れる日々を送りますが、本好きは変わらず、田んぼの代かきの時にも、父親と仕事を交代するまでの間に、畦で本を読んでいたといいます。その後、第四高等学校(現在の金沢大学)を卒業した彼は、東京帝國大学工学部土木工学科(現在の東京大学工学部)に進学します。
大学を卒業した松本は、内務省(戦後に建設省、現在の国土交通省)に入省し、利根川や荒川など、関東の重要河川の護岸工事や河川改修などを担当し、省を代表する技官として活躍しました。
時は昭和44年の夏、集中豪雨により国道8号線の富山大橋の橋桁が沈下し、富山・高岡間の大動脈が寸断される事態となります。当時、北陸地方建設局長だった松本は、「1日も早く復旧せよ!」と檄を飛ばし、約1ヶ月で仮復旧させます。それを見届けた松本は、同年11月、約25年の建設官僚生活に終止符を打ちました。その3年後、「自然的・地理的・社会的に大鑑して、小矢部を加越能の拠点地域にしたい」と訴えて小矢部市長選挙に立候補し、初当選します。
また松本は、母校・砺波高校の発展を願い続けました。県立砺波高校に工業科(※)が設置された際には、その実現に奔走したほか、建築技術者を養成するために組織された中部地方産業開発青年隊の誘致や、富山測候所砺波通報所の設置に取り組みました。さらに昭和57年に砺波高校の敷地内に、同窓会館「松鷹会館」が完成していますが、そのデザインは松本の手によるものでした。
念願の市長に就任した松本は、各所の公共施設を作るにあたり、「文化的価値を持たせ、地域の人々に親しまれ、愛される建物を作りたい」と自身の夢を語り、その実現に奔走します。その手始めとなった建物は、昭和51年に完成した薮波保育所でした。これ以降は、松沢保育所、石動幼稚園、岩尾滝保育所、サイクリングターミナル、特別養護老人ホーム清楽園、埴生公民館、大谷中学校と、次々とメルヘン建築物が建てられていきます。
しかし、東大教養学部をモチーフにした、蟹谷小学校の建設の際には、「市長の趣味だ!」とか、「あんな大学は、ほとんどの子どもに縁がない」など、痛烈な批判が寄せられます。しかしこうした批判に対して、「哲学を残そうと思う。モノと心の調和も大切だが、一番は心。言いかえれば教育と住民意識の向上。建物はそのための手段にすぎない」と自身の信念を貫き通しました。
松本はまた、「ウイーンの森」のような、文化・文学の「永遠の森」に囲まれた都市を築きたいと考えていました。その一環として、子撫川ダムが完成した昭和54年から、宮島峡谷の情景にふさわしい世界の女神像と歌碑を建立、新たな観光スポットとして整備をはかりました。
「故郷の良さを知らせ、後世に伝えていくには、石に書き記すことが一番いい」、そう考えた松本は、独自で愛郷・小矢部にまつわる史実調査を続け、市内に多くの史跡碑や歌碑を建立しました。
昭和61年10月9日、その集大成ともいえる、倶利伽羅の「ふるさとづくり文学碑」の除幕式が行われました。この式典を終えて自宅へ戻った松本を、突然激しい頭痛が襲います。そして11日後の10月20日、一度も目を開くことなく、静かに69年の生涯を閉じます。翌月行われた市葬では、蟹谷小学校の生徒たちが、松本が好きだった『夕焼小焼』を熱唱、約千六百人の市民が彼との最期の別れを惜しみました。
平成元年、イギリスのオックスフォード大学をモデルとした蟹谷中学校が完成しました。松本の後を引き継いだ大家啓一は、生前に計画されていたものをそのまま続行し、彼の果たせなかった夢を実現させました。
北陸自動車道・小矢部インターそばには、自由の女神をモチーフにした「自由の像」と、松本の像が並んで立っています。松本は、自身の請願によって設置された小矢部インターと北陸自動車道、そして愛と希望に満ちた「メルヘンの街」を、今も静かに眺め続けています。
※•••後に県立砺波工業高校として独立。

この記事は、「TSTチャンネルガイド」(現 おとなり)に2001年から2007年の間に70回にわたり連載された『となみ野ストーリー』の内容を掲載しています。
なお、『となみ野ストーリー』は2007年8月に書籍としても発刊されています。
2025.11.01
by おとなり編集部
2025.11.01
by おとなり編集部
2025.11.01
by おとなり編集部
2025.11.01
by おとなり編集部
2025.11.01
by おとなり編集部
2025.11.01
by おとなり編集部
2025.02.28
by おとなり編集部
2025.11.01
by おとなり編集部
2025.11.01
by おとなり編集部
2025.11.01
by おとなり編集部