2025.11.01
【世界の空を見つめ続けた男】若狭 得治
by おとなり編集部
近年、ロールプレイングゲーム「ファイナルファンタジー」や漫画「魔探偵ロキ」、オンラインゲーム「ラグナロクオンライン」などといったゲームやファンタジー小説等を通じて、北欧神話への関心が高まっています。そうした流行を先取りするように、北欧神話と日本神話の共通点を分析し続けたのが、水野知昭です。水野は神話の研究を通して、人間形成に欠かすことのできない人文系分野を大切にすることを説き、神話の魅力を伝え続けました。
水野知昭は昭和24年(1949)1月6日、西礪波郡津沢町(現在の小矢部市津沢)で、父・光雄、母・雅枝の長男として生まれました。高校教諭で物理を教えていた父は、「男たるもの、理系に進むべきだ!」が口癖でした。彼は津沢小学校、津沢中学校を経て、県立福野高校(現在の県立南砺総合高校福野高校)へ進学します。
大学受験を控えた高校3年生の時、水野は進学について、大いに悩みます。父の影響で、彼は理系を目指しますが、結局不合格に終わります。これがきっかけで、もともと英語が得意だった彼は、自分が文系向きであることに気付き、翌年には東北大学文学部を受験し、見事合格を果たします。
昭和47年3月に東北大学文学部言語学科を卒業後、東北大学文学研究科博士課程へ進んだ水野は、学科の助手を勤めながらラテン語や古英詩の勉強に励みます。その後、昭和53年からは日本大学工学部に招かれ、英語の専任講師・助教授となりますが、引き続き古英詩の口承定型句と比喩表現について研究します。そのうちにこうした言葉が、神話に由来していることに気付いていきます。
昭和57年、かねてから神話の研究をしたいと思っていた水野は、スウェーデンのストックホルム大学宗教史学科に7ヶ月間留学する機会を得ます。この間に、「まず古英詩のルーツである神話、とりわけ北欧神話を研究しなければ、古英詩の意味を正しく理解できないのではないか・・・」と思うようになりました。以来、その文献学的な比較文学の手法は、北欧神話のみならず、古英詩『ベーオウルフ』の研究や、カラスや白鳥・不死鳥など「鳥」をテーマとした研究にも及びました。そして日本アイスランド学会や中世英語英文学会を主な発表の場とし、次々と論文を発表していきました。
平成7年、信州大学人文学部教授として赴任した水野は、文化コミュニケーション学科比較文学分野で研究・指導にあたります。ここで彼は、授業を通じて、学生たちに北欧神話と古英詩の魅力を伝え続けました。
水野は主に自宅で研究や執筆を行い、妻・美知子と4人の息子と揃って夕食を囲むことを常としていました。食事中は日本酒で軽く晩酌しながらナイター中継などを楽しみ、仮眠を取った後、酔いを覚ましてから再び机に向かい、夜遅くまで文献を読んだり、論文を書いたりという毎日でした。
退職までの任期が10年を切った頃から、水野は何かに突き動かされるように研究に没頭するようになります。「後に続く研究者のために、今自分が書かなければ・・・」という使命感がそうさせたのか、精力的に論文を書き続け、70数本もの論文を残しました。
平成14年6月、前年に他界した父に一目見せたいと執筆してきた自著『生と死の北欧神話』が発刊されました。この書は、今までに彼が講義用テキストや同人誌などで発表した論文をまとめたもので、北欧神話の専門書として多くの人に読まれ続け、この種の専門書としては珍しく第二刷が発刊されました。加えて彼は、国内外を問わず発表して論じたいこと、また古英詩における定説を覆すような持論をいくつも抱えていました。平成16年末頃からはその発表に向けて、姉妹編『古北欧と異人・マレビト考』の出版を目指して、研究・執筆に追われるという日々を送っていました。
しかし平成17年10月23日、突然クモ膜下出血で亡くなります。享年56、あまりにも短い、そして志半ばで奪われた、独学独歩で生き続けた研究者人生でした。生前彼は、「退職してから、いつかは晴耕雨読の生活を送りたい」と思い続けていましたが、叶うことはありませんでした。
普段は標準語で会話をしていた水野でしたが、家庭ではよく富山弁を使いました。そして、毎年講義の初めには、「僕のイントネーションは富山弁が基本だ」と話すなど、常に故郷のことを意識していました。彼には、富山弁は語彙がとても豊富な言葉だという思いがいつもあり、妻には「大学で言語学を専攻したのは、津沢で育って富山弁をしゃべっていたからだ」ともよく語っていました。
ところで水野は生前、年に二〜三度は津沢の実家に帰省していました。18歳まで生まれ育った津沢には、ことのほか思い入れが深く、実家からの二上山の眺めが好きで、亡くなる前年の夏に高岡市万葉歴史館を訪れた際には、自作論文が収蔵されていることを知り、とても喜んでいました。
このように学問一筋だった水野は、犬との触れ合いを大切にしていました。津沢にいた頃、家で飼っていた越の犬「ペチ」は彼にとっては自慢の犬で、その後もずっと犬がそばにいるという生活を送りました。犬との散歩の時間は、彼にとって大切なリラックスタイムだったのかもしれません。

この記事は、「TSTチャンネルガイド」(現 おとなり)に2001年から2007年の間に70回にわたり連載された『となみ野ストーリー』の内容を掲載しています。
なお、『となみ野ストーリー』は2007年8月に書籍としても発刊されています。
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