2025.11.01
【世界の空を見つめ続けた男】若狭 得治
by おとなり編集部
昭和初期から終戦直後にかけて、長崎に川南工業という造船会社がありました。南極観測船「宗谷」を建造した会社として知られていますが、現在は三菱重工業の長崎造船所・香焼工場となっています。この川南工業を創立したのが、川南豊作です。川南は、「人種の異なった各国の人々が、お互いに心から楽しみ、話し合える旅を過ごせるような、船の芸術品を作り上げたい」と話すなど、船を通じて世界が結ばれることを願い続けました。
川南豊作は、明治35年(1902)7月28日、東礪波郡井口村池田(現在の南砺市池田)で農業を営む父・太三郎、母・つやの三男として生まれました。明治42年に小学校へ入学しますが、学校の勉強にはあまり興味を示さず、下校時に魚採りをしたり、自然を相手に過ごすという日々を送ります。
そんなある日、ある講演会に出かけた川南は、「日本は島国で海に囲まれている。まさに海洋国だ」という言葉に、大きな衝撃を受けます。これをきっかけに、海の道に進もうと決意した彼は、大正6年に滑川の富山県水産講習所(現在の県立海洋高校)に入学します。そして3年生になった大正8年2月には、大阪にあった東洋製罐の工場で、実習生として働き始めます。
ところが彼は毎日の工場労働を通じて、さらなる自身の向上を目指し、親戚が経営するイワシの缶詰を製造する食品会社に身を寄せました。その後、水産加工業から転換、昭和9年にガラスの一貫製造に着手した彼は、佐賀県にソーダ工場※とガラス工場を次々と立ち上げます。
ここで困ったのは、事業を立ち上げるのが難しいことと、高い輸送運賃をどうするかということでした。川南は直接自分たちで船を作り、海外から安く原料を仕入れようと考えました。この発案が、後に川南工業を創業するきっかけとなります。 偶然この時期、長崎県の香焼島という所に、12年もの間放置されているという松尾造船所があると聞きつけた彼は、直ちに視察に出かけます。そして昭和11年に工場を再興し、所有者だった松尾孫八を顧問に迎え、本格的に造船事業に進出しました。
翌昭和12年、川南工業はソ連政府から耐氷型船3隻の注文を受けます。そのうちの1隻は、後に「宗谷」となる「ボロチャエベツ」号で、翌年に完成しました。しかし引き渡し直前になって、日本海軍から「中止せよ」との命令が出され、結局海軍に買い取られて、その後は「地領丸」と名を改められました。
昭和15年、川南は佐賀にあったソーダ・ガラス工場を閉鎖して造船所とし、戦時体制に備えます。ここでは、郷里の出身者が従業員として、あるいは産業報国隊員として従事しました。こうして川南工業は、戦時中に三つの造船所、窯業所、木製品加工工場、病院、高校(現在の長崎総合科学大学)などの経営に携わりました。また一方では、昭和20年8月に原爆が投下された際、無事だった社員が川南の一声で集まり、自社の船を避難所として食糧を配給するなど、骨身を惜しまず活動を続けました。
終戦後、川南は戦争遂行に協力したという容疑で、GHQ(連合国総司令部)によって公職追放令を受け、昭和22年に会社の代表取締役を辞任します。またこの頃、造船業界は不況のどん底に陥り、川南工業はその影響をまともに受けました。さらにこの流れを加速させるような労働争議が勃発したり、経営陣の内部対立が生まれたり、取引銀行が融資を停止したり、と会社の存続そのものが危ぶまれる状況になりました。こうした苦節の時を経て、昭和28年に公職追放令を解除された川南は、再び経営の第一線に立つことができました。
しかし、昭和36年12月、「三無事件」というクーデター未遂事件が、川南の身に降り掛かります。そして彼は、首謀者として嫌疑を掛けられ、逮捕されます。誰よりも社員のことを思い、社員から慕われ続けた川南のあたたかい人柄に付け入られたものでしたが、判決を不服だとして係争中だった、昭和43年12月11日に彼は67歳という若さでこの世を去ります。
川南が他界した後も、昭和31年から南極観測船として、日本の南極観測プロジェクトに大きな役割を果たした「地領丸」改め「宗谷」は、昭和53年10月、最後の仕事となった海上保安庁の巡視船としての任務を終え、解役式を迎えました。この船は、太平洋戦争中、港湾の測量やミッドウェー海戦などに参加したほか、戦後は引揚船や灯台補給船として活躍しました。こうして幾度の苦難に立ち向かい、懸命に走り続けた宗谷を永久保存したいという声は全国各地から寄せられ、最終的に東京・お台場にある「船の科学館」に展示されることが決まりました。現在も「宗谷」の勇姿を見ようと、多くの見学客が訪れていますが、この船の生みの親がとなみ野の出身者だということは、ほとんど知られていません。
※•••ガラスの原料を製造。

この記事は、「TSTチャンネルガイド」(現 おとなり)に2001年から2007年の間に70回にわたり連載された『となみ野ストーリー』の内容を掲載しています。なお、『となみ野ストーリー』は2007年8月に書籍としても発刊されています。
2025.11.01
by おとなり編集部
2025.11.01
by おとなり編集部
2025.11.01
by おとなり編集部
2025.11.01
by おとなり編集部
2025.11.01
by おとなり編集部
2025.02.28
by おとなり編集部
2025.11.01
by おとなり編集部
2025.11.01
by おとなり編集部
2025.11.01
by おとなり編集部
2025.11.01
by おとなり編集部