2025.11.01
【世界の空を見つめ続けた男】若狭 得治
by おとなり編集部
旧福野町のほぼ中央にそびえる文化創造の基地「ヘリオス」。この建物に付随して「南砺市立中央図書館」があります。この図書館が完成したのは平成3年、それまでは福野駅前にある西方寺の境内にあった福野町立授眼蔵図書館が、旧福野町の図書館でした。この図書館の設計をしたのが、吉田鉄郎でした。
吉田鉄郎は、明治27年(1894)5月18日、東礪波郡福野町(現在の南砺市福野)で、薬種商を営んでいた五島寛平の三男として生まれました。この五島家は江戸後期から明治初年にかけて、約50名の子どもたちに寺子屋を開いていました。また明治6年に福野郵便局が設けられましたが、寛平の父はここの郵便局長も務めています。
鉄郎は幼い時から文武両道の人物でした。とくに県立高岡中学校(現在の県立高岡高校)に進学した彼は、絵画に非常に長けていて、展覧会ではいつも賞を取っていました。粘土や石膏を固めた素材を使って自画像を作ったり、妹であるハルにモデルになってもらうなどして、デッサンの勉強に勤しみました。ところが4年生の終わりに筋炎という大病にかかり、旧制金沢医科大学付属病院に入院することとなります。その後、病をおして旧制第四高等学校(現在の金沢大学)に進学、卒業後は東京帝國大学建築学科(現在の東京大学工学部)を受験しますが、あえなく不合格となります。どうしても進学したい彼は、当時福野郵便局長で父の名前を世襲していた兄・寛平から、交流の深かった物理学者で当時東京帝大理科大学(現在の東京大学理学部物理学科)の助教授であった寺田寅彦に相談することを勧められます。寅彦の甥である別役亮が県立福野農学校(現在の県立南砺総合高校福野高校)の教師をしていたことから、交流があったのです。そのかいあって東京帝國大学理科大学理論物理学科へ入学、翌年には建築学科に転籍します。
大正8年に卒業した吉田は、めでたく逓信省(戦後に郵政省、現在の総務省)の経理局営繕課(※1)に勤務することになります。逓信省を選んだのは実家が郵便局だったこと、母親のゑくが石動郵便局長をしていた小沢宗八の長女だったこと、高岡中学の大先輩でのちに電電公社総裁となった大橋八郎がいたことがきっかけでした。当時の建築家の学生にとって、逓信営繕はまさに憧れの的でした。
夢が叶って意気揚々だった鉄郎には、同年縁談の話が持ち込まれました。相手は吉田芳枝という女性で、戸出の素封家(※2)で戸出物産の社長だった吉田仁平の娘でした。「五島家からぜひ養子として鉄郎をもらいたい」と寛平に話が持ち込まれたのです。芳江は当時日本女子大に在学中で、鉄郎が書いた卒業論文の執筆にも協力していました。彼女と結婚した鉄郎は、これにより五島姓から吉田姓となります。しかしその直後、結核にかかってしまいます。当時は効果的な治療法が発見されておらず、唯一の治療は空気のきれいな所で療養することであり、東京で生活していた彼らは神奈川県の茅ヶ崎に移住しました。
さて入省後、彼は逓信省の建物、つまり全国各地の郵便局の建築に取り組みます。よく知られているものとして東京中央郵便局や大阪中央郵便局などがあります。また実家の福野郵便局の設計にも取り組んでいます。旧福野郵便局は、昭和37年に苗島に移転しますが、その後最近まで生命保険会社のオフィスとして使用されるほどモダンでした。
昭和19年に逓信省を退官した吉田は、戦後、日本大学の教授となり、建築学の権威として日本の古建築の研究に取り組みました。学者として、ドイツ語による建築三部作『日本の建築』『日本の住宅』『日本の庭園』の執筆活動に勤しみました。またスウェーデンへ留学した時に大変な感銘を受け、吉田はスウェーデンを「心のふるさと」と思っていました。彼はそのスウェーデンの近代建築についても研究し、『スウェーデンの建築家』という書を著し、またドイツの建築家であるブルーノ・タウトが書いた書物の翻訳も行なっています。彼は吉田を「最もすぐれた建築家の一人。いや、最もすぐれた建築家だと言っていい」と想い、一方の吉田も「現代建築史上に大きな足跡をのこしたドイツの建築家」と想うなど、お互いを高く評価していました。
通信建築の伝統を形成した人物と高く評価された吉田は、昭和31年9月8日に62歳の若さでこの世を去ります。東京駅のすぐそばにある「東京中央郵便局」は、日本最大の郵便局です。吉田が手掛けたこの郵便局の建物の中央には、大きな時計が設置されています。これは吉田自身のこだわりだったのでしょうか?
※1•••建物を造ったり修理したりすること。
※2•••(「史記」貨殖伝から。「素」はむなしい、「封」は領地の意。) 位や領土はないが、諸侯に匹敵する富を持っていること。またその人。

この記事は、「TSTチャンネルガイド」(現 おとなり)に2001年から2007年の間に70回にわたり連載された『となみ野ストーリー』の内容を掲載しています。なお、『となみ野ストーリー』は2007年8月に書籍としても発刊されています。
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