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【那谷寺の再興に尽くした男】木崎隆禅

2025.11.01

石川県小松市にある那谷寺は、625年に白山を開山した泰澄法師が創建したと伝えられ、約1300年の歴史を有します。『奥の細道』で知られる松尾芭蕉もこの寺を訪れ、句を詠んでいます。この那谷寺第15世住職として、荒廃していた那谷寺の再興に尽くしたのが、木崎隆禅です。第65代天皇 花山法皇、加賀三代藩主・前田利常と並んで、「那谷寺中興の祖」として、その人となりは現在も語り継がれています。

 

寒い中、裸足で過ごす

木崎隆禅は明治33年(1900) 2月4日、東礪波郡栴檀野村芹谷(現在の砺波市芹谷)で、父・山本利三郎、母・さとの次男として生まれました。彼には教育を身に付けさせることが大切だと考えた両親は、わずか5歳で自宅向かいの千光寺へ入寺させます。しかも家へ戻ることは許されず、千光寺から小学校へ通いました。寒い冬の間も裸足にわらじという生活で、親から離れての厳しい修行を続けました。

その後彼は、おとうと弟子を先に入学させた後に、和歌山県にある高野山中学校へ進学、この時共に入山したのは同門の伊藤真城(元高野山大学長)と五十嵐大祐(元倶利伽羅不動寺住職)でした。ここでは、終生尊敬し続けることになる師僧・金山櫻韶と出会い、仏の道を学びました。金山は金剛峯寺管長をつとめ、「高野の太陽」と人々から尊敬されていました。

27歳となった昭和2年3月、高野山大学を卒業した彼は、那谷寺第14世・木崎観明の養子となります。そして、引き続き天徳院での修行や金剛峯寺の法務(※1)をつとめ、昭和9年には金山に連れられて、再び那谷寺を訪れます。そして観明の兄の孫・かほる(後に順光と改名)と結婚し、昭和9年3月、第15世住職に就任しました。
 

那谷寺の荒廃ぶりを嘆く

那谷寺の住職となった木崎は、その諸堂伽藍が荒れ果てている様子を見て驚きます。「先人が長い歳月のもとに英知を集めて造り上げた、得がたくもまた貴重な遺産を、自分の代で崩壊させてはならない」、そう考えた彼は、妻と共に寺の修復に尽くそうと決意します。

早速彼は、大悲閣(観音堂)の修復に着手しますが、当時わずかな檀家に寄付を求めることも難しく、金銭的負担が重くのしかかります。官庁からの補助金もわずかな中で、以後三重の塔、護摩堂、鐘楼、書院の修復を手掛けました。さらに時代は戦争の道へと進み、文化財への補助金は次々と打ち切られ、その多くが工事中止に追い込まれます。しかし、文化財としての価値を訴え続けた彼の熱意が伝わり、法隆寺と那谷寺のみが工事の続行を認められました。

さて、那谷寺の近くには加賀温泉郷があり、当時は各温泉間を鉄道が結んでいました。この地理的条件に目をつけた木崎は、温泉客に訪れてもらおうと考えます。そして旅館の経営者や女将らを集めて、その意義を切々と訴え続けました。この結果、那谷寺は多くの観光客で賑うようになりました。
 

「もう公にしてもよろしい。思い残すことはない」

昭和42年のある日、木崎は突然高血圧で倒れます。半年ほど口をも利けない状態でしたが、その後は目覚しい回復をみせます。この大病以来、木崎は寺の一切を息子の英昭(後に馨山と改名)に譲ります。

そして3年後の昭和45年には、古希の祝いと華王院(※2)落慶式が執り行われ、さらに高野山からは僧位の最高位である大僧正が贈られました。

またこの年、那谷寺のすぐ隣で生まれ育った作家・陣出達朗の監修による『那谷寺』が出版されました。それまでにも数社から出版話が寄せられていましたが、「自分は荒れ果てた文化財を、このままの姿で、世に紹介したくない。むかしの完全なたたずまいにもどし、そのうえ世に広める。それがこの遺産を継いだもののつとめである」との理由から断り続けていました。しかし那谷寺を見て育った陣出からの申し出に、木崎は快諾します。陣出は『遠山の金さん』や『伝七捕物帖』シリーズなどの時代小説を多く執筆するかたわら、那谷寺を題材にした随筆も手掛け、その尽力により那谷寺の名は全国に知られるようになりました。
 

墨染めの衣に、草鞋履きで勧進に歩く

こうした木崎の姿勢に野根長太郎(元北陸鉄道会長)や、那谷町出身の高田三次郎(高田機工の創始者)、加賀市出身の竹田儀一(元厚生大臣)、新家熊吉(大同工業の創始者)、林屋亀次郎(元国務大臣)らが共鳴し、寄進を続けます。そして高野山真言宗において、別格本山という地位を確立するまでに到ります。

息子・馨山に住職の座を譲って以来、木崎は時折のどを詰まらせたり、呼吸困難を伴うという状態が続き、寝たきり生活の中で病魔と闘います。家族による献身的な看病が続けられ、吸引や酸素吸入をする日々が続きました。そして昭和63年8月15日、子どもや孫たち一人ひとりの手を握りながら、自宅で静かに88年の生涯を閉じます。

現在、那谷寺の書院、本殿・大悲閣・唐門、三重塔、護摩堂、鐘楼は国指定重要文化財に指定されているほか、寺院茶庭は国指定名勝となっています。春夏秋冬を問わず、美しい姿をみせる那谷寺には、木崎の深い慈しみの心が宿っています。
 


※1•••寺務を総括する僧職。
※2•••仏閣などの建築や修理の落成を祝う。


この記事は、「TSTチャンネルガイド」(現 おとなり)に2001年から2007年の間に70回にわたり連載された『となみ野ストーリー』の内容を掲載しています。なお、『となみ野ストーリー』は2007年8月に書籍としても発刊されています。

この記事を書いた人

おとなり編集部

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