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【イタイイタイ病患者を救った学者】石崎有信

2025.11.01

昭和43年5月8日、日本で初めての公害病として「イタイイタイ病」が、厚生省(現在の厚生労働省)によって認定されました。以後、「水俣病」や「四日市ぜんそく」、「新潟水俣病」らとあわせて、「四大公害病」といわれ、産業隆盛に邁進し続けた日本経済に、大きな楔を打ちこむこととなりました。このイタイイタイ病を、衛生学の観点から公害病だと研究発表し、その後の裁判にも多大な影響を与えたのが、石崎有信です。
 

衛生学を専攻する

石崎有信は、明治42年(1909)9月5日、東礪波郡東野尻村苗加(現在の砺波市苗加)で生まれました。若い頃から数学好きだった彼は、いずれは数学者になりたいという夢を持っていました。

そんな石崎は、昭和4年に旧制金沢医科大学(現在の金沢大学医学部)に入学、星野鉄男教授から医学を学びます。星野は敬虔(※1)なクリスチャンで、伝道師・内村鑑三の弟子筋にあたる人物でした。

運命の転機は、大学3年生の夏休みを終えた頃に訪れました。たまたま友人に誘われて、衛生学教室を開講していた助教授・村上賢三の研究を手伝うことになったのです。社会衛生学を専攻していた村上は、農村の人口増加の実態を把握するべく、戸籍謄本を元に石川県内をくまなく調査しました。石崎はこの調査をきっかけに、本格的に生活衛生学の研究を続けることを決意します。

昭和8年に金沢医科大学医学科を卒業後、さらに研究するべく大学に残り、助手となります。翌年には軍隊に入営し、3ヶ月の軍隊訓練を経て軍医となります。1年後に大学へ戻った石崎は、途中にしていた研究を再び始めます。
 

「イタイイタイ病」との関わり

そもそもイタイイタイ病とは、岐阜県の神岡町(現在の岐阜県飛騨市)にある三井金属鉱業の神岡鉱業所が、亜鉛を精製する時に出る「カドミウム(※2)」という物質を含んだ工場廃水を、神通川に垂れ流したために発生しました。主婦が農作業の合間に、のどの渇きを潤すべく、神通川の水を飲み続けたことが始まりでした。特に出産を経験した女性に患者が多く、旧婦中町(現在の富山市婦中地域)や富山市などの集中した地域で発生した病気でした。

このイタイイタイ病の解決に終生取り組んだとしてよく知られているのが、旧婦中町の開業医・萩野昇です。彼の努力により、この地区で「業病(※3)」だと恐れられていたイタイイタイ病が、世間に公害病として認められるようになりました。

当時石崎は、「日本人のカルシウム所要量の設定」というテーマで研究に取り組んでいました。そんな石崎がイタイイタイ病と関わることになったのは、昭和31年に農協高岡病院(現在の厚生連高岡病院)から、カルシウムの出納実験の要請を受けたことがきっかけでした。

当初イタイイタイ病は、欧米でよく見られた栄養不足による骨軟化症のようなものだという説が有力視されていました。しかし彼はこの説に疑問を抱き、神通川から水を採取して粘り強く分析を試みます。しかしどうしても神通川に限定して発生する因果関係が特定できず、ただ時間だけが過ぎていきました。
 

国会で証言に立つ

昭和37年頃から、それまで萩野らが主張していた「カドミウム」説が有力視されるようになります。しかし日本の経済成長のシンボル的存在だった神岡鉱山を犯人呼ばわりしたことで、反対論も展開されるようになります。石崎はこうした反論に答えられるようにと、カドミウム説の根拠を明確にすべく、さらに研究を続けます。

昭和42年12月15日、石崎は参議院産業公害特別委員会に、萩野らと共に参考人として招致されました。冒頭で証言した彼は、「調べているうちに重金属、特にカドミウムがもっとも疑わしいとわかってきた。カドミウムが人体内に入って腎臓障害となり、その後カルシウムの再吸収が悪くなり、骨軟化症を起こす。この際、栄養状態のよくない人には特に激しくなり、ホルモンの関係も相まってイタイイタイ病になると思われる。このカドミウムは神岡鉱山から流れてきたと思われるが、現在は防毒処置されていて、あまり流れてきていないので、調査が難しいというのが実情だ」と衛生学研究者の立場から訴えました。この時、参考人として4人が招致されましたが、立場の違いはあるとはいえ、全員が「カドミウム説」を是認しました。
 

さらなる研究を続けて・・・

昭和25年に金沢大学医学部の教授となった石崎は、昭和44年から医学部長を兼任することになります。その頃は、いわゆる「学園紛争」が全国的にピークを迎え、金沢大学でもその嵐が吹き荒れました。石崎は、終始学生との対話を重んじ、誠意ある姿勢を取りましたが、このことに対し、医学部の教授から大きな批判の声が挙がり、彼は医学部始まって以来の解職請求を受け、昭和46年2月に部長職を退きます。

昭和50年、金沢大学を定年退官した石崎は、この3年前に新設された私立金沢医科大学へ移り、研究を続けます。石崎はそこで衛生学教室を主宰し、カドミウムなど重金属の人体影響についての研究を進めました。5年後には金沢医科大学の学長に就任し、後任にゼミナール教室を委ねます。そして今でも、石崎がライフワークとした「環境中における人体におけるカドミウムの影響」というテーマで研究が続けられています。

また石崎は、統計学にも深い造詣を持っていました。独学で統計学を習得した石崎は、それに近い形で、医学者向けの統計学のテキストを出版するなどし、医学生に統計学を教えていたこともありました。

カドミウムの研究に力を注いだ石崎は、平成12年10月3日に91歳の人生に終止符を打ちました。
 


※1•••神を深くうやまい仕える様。
※2•••体内に入るとカルシウムを溶かすために骨をもろくし、その結果骨が折れやすくなるという、恐ろしい物質。
※3•••前世での悪行の報いでかかるとされた、治りにくい病気。難病。


この記事は、「TSTチャンネルガイド」(現 おとなり)に2001年から2007年の間に70回にわたり連載された『となみ野ストーリー』の内容を掲載しています。なお、『となみ野ストーリー』は2007年8月に書籍としても発刊されています。

この記事を書いた人

おとなり編集部

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