2025.11.01
【世界の空を見つめ続けた男】若狭 得治
by おとなり編集部
高波地区は、昭和28年の第二次合併により、砺波市へ合併・編入されました。 当時、高波地区は、西砺波郡だった戸出地区と合併するか、東砺波郡の砺波と合併するかで、大きな決断を迫られていました。この時、住民から多くの期待を集めて、砺波との合併を決断・実現したのが、市山有三です。 市山は、教育者・県議会議員・農協組合長を歴任し、砺波市政の発展に大きく寄与しました。
市山有三は明治33年(1900) 11月30日、西礪波郡高波村高波(現在の砺波市高波)で、農家・市山有造の長男として生まれました。 大正2年3月に高波尋常小学校を卒業した彼は、県立礪波中学校(現在の県立砺波高校)に進学、共に首席を争った同級生には、後に県議会議員や第2代の小矢部市長となる広橋(桜井) 与蔵がいました。
市山は、村議・郡会議員・村長・農協会長を歴任し、地元の衆望を集める父を尊敬していました。 その影響を受けてか、いつしか彼は学校教育の重要性と偉大さに惹かれるようになります。 そして大正7年4月、市山は富山県師範学校(現在の富山大学教育学部)へ進学、卒業後は戸出尋常高等小学校を皮切りに、教育者として歩み始めます。 昭和8年には、33歳の若さで荒川小学校長(現在の小矢部市立大谷小学校)に就任し、昭和24年6月に高波中学校長(後に砺波市立出町中学校と合併)をもって退職します。 その間に、幾多の優秀な生徒たちを育てた彼は、「夢と希望を持ち続けるように」と教え続けました。
昭和22年4月、市山は教え子や教員らに推されて、富山県議会議員選挙(西砺波郡選挙区)に立候補し、初当選を飾ります。 しかし昭和26年の選挙では落選し、無念の涙をのみました。
これに先立つ昭和23年9月のこと、中越印刷をはじめとする中越グループを率いていた岩川毅から、中越印刷製紙の監査役就任を要請されます。 以後、市山は岩川の右腕となり、グループ発展の礎を築きます。 また彼は戸出タクシーや、高岡にあった北日本乳業などの社長を歴任したほか、高波農協長を務めました。
ある日のこと、市山は偶然出会った川辺俊雄(後に砺波市長)と森一也(後に砺波市議)とともに、戸出の居酒屋を訪ねます。すっかりいい気分になった川辺と森は、「岩川さんの後継者はあなたしかいない。 今度の選挙で市山さんを担ごうじゃないか!」と意気投合します。 最初はとまどいを隠せなかった市山でしたが、「あんたたちがそこまで言うなら、もう一度みんなのために働こう!」と約束、昭和34年に岩川の後継者として再び県議選に立候補し、激戦の末、見事に雪辱を果たしました。
それから4年後の昭和38年4月16日、県議選に立候補を表明した市山は、地元・高波小学校で選挙戦最後の演説会を開催しました。 万雷の拍手に押されて壇上に立った市山は、「ただただ高波地区の皆様のあたたかいお力添えが嬉しくて嬉しくて・・・、心から感激するばかりであります」と言葉を詰まらせながら挨拶、メガネの奥には涙が溢れていました。 その姿を見て、思わずもらい泣きをする支持者の姿も見られました。 しかしこの演説が、市山の最後の演説となってしまうとは、誰も知る由はありませんでした。 この頃すでに、市山の病は静かに進行していました。
この半年前の昭和37年9月から約1ヶ月間、市山は県議会を代表して、欧米9ヵ国の政経事情の視察旅行に出かけています。自ら16ミリカメラで各地を撮影した彼は、帰国後に地元で講演会を開き、その時の模様をスライドと共にユーモアたっぷりに話しました。そんな彼のカメラ好きはマニアの域に達し、冠婚葬祭の場には決まってカメラをぶらさげる市山の姿が見られました。
誠実で実直だった市山は、多くの市民から慕われました。 決まって支持者からは、「あなたは正直すぎる。『やれないことでもそのうちにやる』と言っておけばどうです?」と言われた彼は、「ウソとハッタリは言えない。 私は30年間、子どもたちにそのことを教えてきた。『できないことはできない』と率直に言いたい。そのために私が損をしてもかまわない。できないことを今にもできそうに言って、相手を惑わせてはならない」と信念を貫きました。
昭和38年7月28日、臨時県議会に出席した市山は、開会後間もなく体調を崩し、約2ヶ月の入院生活を送ります。 彼は亡くなる4日前、やせ落ちた手で見舞い客の手を握りしめながら、「とても苦しいが、早く治って出町へ帰り、再び皆さんと一緒に働きたい・・・」と、再び第一線に立つ決意を滲ませました。 しかし9月23日、これからの活躍が期待される中、62年の短い生涯を閉じます。
それから1週間後に開かれた県議会において、同じ砺波市選出の中島粂次は、かつての同志だった市山をこう追悼しています。「常に我々と共に在って仲良く県政を審議し、郷土の発展に努力せられることを信じて疑いません・・・」と。

この記事は、「TSTチャンネルガイド」(現 おとなり)に2001年から2007年の間に70回にわたり連載された『となみ野ストーリー』の内容を掲載しています。なお、『となみ野ストーリー』は2007年8月に書籍としても発刊されています。
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